教育、というのがこれからあらゆる側面でキーワードになってくるような気がして、何年か前に三軒の塾を見学させてもらったことがありました。
一軒目は個人の進学塾で、右脳や能力開発のメソッドなどを取り入れて、塾生の勉強へのモチベーションをアップさせる工夫をしていました。
二軒目は大きな進学塾チェーンで、そこでは組織のシステムとして先生同士で教え方を学びあったり、塾生に対するフォローアップの仕組みがなされていました。組織全体で一丸となって生徒の成績を上げるためにまい進している、という感じでした。
三軒目は不登校児向けの塾で、僕が一番衝撃を受けたのはここでした。
まず、進学しないといけない、という前提から取り払われている。
学校に行ってない子が多いですから、何がしたいのか、何が出来るのか、というところから始めていました。フリースクールの要素も入ってたのかもしれません。
今はそういう子ども達にも通信制だったり単位制だったりと高校も幅が広がっています。
さらにそこの経営者の方がいろんな職人の方ともお知り合いで、中学校を卒業して、包丁職人や板前の修行をする子もいたり。
それが辛い子は、とにかくココまで出てくるだけでもエライという形で受け入れていました。
その後、自分で不登校の子ども達と関わるボランティアをしたりました。
中三の子と接してたりすると、やっぱりこっちもあせるわけです。
来年卒業やし、どうするんやろう、と。
そこで言われたのは、「特に何もする必要はない」ということ。
たとえ卒業して進路が決まってなくても、その子の人生はそれで終わるわけではない。
それをどうこうしようというのはこちら側のエゴでしかない。
それに一番悩んでるのは本人ですから、相手から話を振ってきたのならともかく、実際こちらから無理矢理何かをやらせるなんてことはできないですから。
親御さんの身になってみれば「そんな悠長なことは言ってられない」ということになると思いますが、でもまあ、冷静に考えるならこれが正直なところだと思います。
こういう中で、ちょっとずつ自分自身がどういう種類の教育と関わりたいのか見えてきました。
それはやっぱり「生きる」ということそのものに関する教育なんですね。
そういうところでボランティアを募って子ども達と遊ぶ、というようなイベントにスタッフとして参加してるわけです。
「生きる」ということを学ぶには、いろんなバックグラウンドを持つ大人を見て、多様な生き方があるんだよ、というのを実地で示すのが一番だという気がするので。
しかし、実際やってみて、これもちょっと現実とずれているかも、と最近感じてます。
疲弊してて、余裕のない大人が多い
ということに改めて気付いたからです。
今の世の中、社会全体が強迫神経症みたいなところがあるので、その担い手である大人が一番、疲弊してるんですね。
大人だって自分の行き方に悩んでるんです。
僕自身も今はそれほどでもないですが、昔は無茶苦茶なやんでました。
世間的にはいい企業と言われるところに勤めていた頃も、メッチャ悩んでました。
大人も子どもも、経験の差はあれど根本的な問題は同じなんだな~
最近、そう感じる次第です。
ちょっとまとまりのつかない感じになりましたが、最近思ってることをつらつら書いてみました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございますm(_ _)m
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